ライブ中に内省し過ぎるクセをどうにかしたい

先日、zeppなんばで行われたlovelyzというグループのリリースイベントに参加してきた。かの悪名高いキッスエンタのイベントということで心配していたが、あまりにもあっけなく終わってしまって少々拍子抜けだった。

 

ただジエ、あの子はだ。あの儚さはこの世のものとは思えない。儚い雰囲気を纏う女性は数多くいるが、儚さのオーラの強度が段違いである。一見相反するように思えるが「今にも消えてしまいそうな儚さのオーラ」が「鬼の形相で」迫ってくるのである。儚さの鬼、ジエ。今後も彼女の活躍から目が離せない。

 

そして司会のお姉さん、彼女は完全にドブ沼である。まだまだオーラもない駆け出しの司会者ではあるが、それが逆に親近感を倍増させ応援したくなってしまう。めっちゃ調べた。帰ってから鬼の形相でググッた。しかしなかなかめぼしい情報が手に入らずそれもまたよい。本人はそのグループ目当てだと思っていても、心の奥底で本当に会いたいのは「司会のお姉さん」という事態が必ずやって来る。自分で認知できていない時点で、圧倒的ドブ沼なのである。

 

 

 

閑話休題

 

皆さんはライブ中に何を考えているのだろうか。ライブと一口に言っても開演前、本編、MCなどさまざまな場面が想定されるのだが、私はよっぽどのことがない限り自分の行動を客観的に見つめている。

 

たとえばアーティストが登場して手を振り回してるとき、「気づいて~」と思うよりも「うわ~自分めっちゃ手振ってるよ」ってなってるし、コールや掛け声をするときも「自分がやらないと場を盛り下げてしまうかも」とかいっちょまえに余計なことばかり考えている。つかれる。特に何をするわけでもないけど。

 

これはなまじオタク歴があると陥りやすい症状だと思うのだが、自分という存在がその場を作っているという感覚に必要以上に取り憑かれてしまっている病であると考える。

 

よく典型的なオタクの現場で見られる「オタ芸」、あれに関しては異質な庭すぎて正直よく分かっていないのだが、この場の感覚の最たる例だと思う。

 

いやもうアレ、一切ステージ見てなくない?もはやアイドルよりも当事者意識が強いので最たる例なのかももうよく分からない。

 

もちろんライブは観客も一緒に作るものであるから、そのような感覚は大事だし、観客の盛り上げ次第でライブの質はグンと変わってくる。アーティストのテンションもそれに左右されるし、終演後の満足感にも差が出てくる。だから大きな声を張り上げて声援を送ってくれる人にはいつもめちゃめちゃ感謝してる。

 

しかしそれがアーティストやライブのための場を作るということを思ってではなく、「自分こそがこの場を作ってるんだ」というように単なる自己満足のためだとしたら話は別である。いや自己満足でもなんでも盛り上げてくれるならいいんだけど行き過ぎるとホント不快なガヤに成り下がるだけだからそれだけはご勘弁ていうかこんな偉そうに言う資格はないのでこの話やっぱキャンセルで。

 

 

とにかく私が言いたいのは「自分が場を作ってるというメタ認知」が働きすぎるのはいかがなものか、ということである。

 

バンドのライブなんかでは、曲に合わせて手を開くとも閉じるとも言えないあの絶妙な感じで腕を前方に振り続けるのがお決まりだが、これも私の場合メタ認知が強すぎて、「周りに合わせてやってるけど、これは一体なんなの・・・?」となり、途中から完全にゲシュタルト崩壊を起こしてしまう。もうライブどころではなく、私の頭の中は「どうやったら腕を前方に振り出すことができるんだっけ?」という思考が支配する。自分の行動を認知しすぎた結果、それまで自然にできていたことができなくなり、精神と肉体が分離していく。ああ、心身二元論

 

 

私が今求めているのは頭の中での反省をしないような純粋経験ができるライブである。幕が下りた後にはっと我にかえるような、そんな深い没入感。かつて西田幾多郎を読んだときにはさっぱりだったが、いまはなんとなく分かる気がしてきた。西田もライブ中に自己をうっかりメタ認知してしまいがちな青年だったのだろう。

 

主客未分の状態、つまり頭だけで楽しんでるわけでも体だけで楽しんでるわけでもなく、両者が渾然一体となって初めて到達する真理。イデア

 

 

 

目指す場所は、遥か先にある。

 

 

 

 

 

 

 

Lovelyz「今、私たち」日本語訳と所感

지금, 우리(今、私たち)日本語訳

 

왜 깨지 않는 걸까

なんで目覚めないのかな
늘 이쯤에서 깨곤 했단 말야

いつもこのくらいで目を覚ましてたんだよ
참 싫다는 건 아냐

嫌って訳じゃないの
나는 있지

私はね
솔직히 좀 실감이 안 나서

正直ちょっと実感が無くて
왜 살짝 내 손을 잡고

なんでそっと私の手を掴んで
귓속말을 건네는 걸까

耳打ちをするのかな
몰라 아무것도 들리지 않아

分からない 何も聞こえない
너무 가깝잖아

あまりにも近すぎるじゃない
온 세상이 막 어지럽던 그 순간

世界中が目まぐるしく回ったその瞬間
지금 너랑 나랑 모든 게 다 거짓말 같아

今 あなたと私とすべてがウソみたい
너랑 일분 이분 시간이 다 거짓말 같아
あなたとの一分二分の時間がすべてがウソみたい
꿈일까 아닐까

夢なのかな 夢じゃないのかな
몽롱한 기분인 걸

ぼんやりとした気分なの
네가 좋아한대 날

あなたが私を好きだって
어떡해 진짠가 봐

どうしよう 本当みたい
또각또각 불빛 아래 두 사람

コツコツ明かりの下二人

빙글빙글 내 두 눈은 너를 따라

ぐるぐる私の目はあなたを追って
사뿐사뿐 발을 맞춰보는 나

そろりそろり歩調を合わせてみる私
진짠가 봐 연인이 될 건가 봐

本当みたい 恋人になるみたい
좀 숨 막힌 것 같아

少し息が詰まりそう
이 어색함이 나쁘단 건 아냐

このぎこちなさも悪くない
그 사랑스런 눈빛

その愛らしい瞳
그건 마치 널 보던 내 모습과 닮아서

それはまるであなたを見ていた私の姿のようで
난 살짝 실눈을 뜨고

私はそっと薄目を開けて
너와 나의 거리를 재봐

あなたと私の距離を測ってみる
한 뼘 정도밖에 안 남았잖아

ちっとも残ってないじゃない
곧 닿을지 몰라

すぐに届くかもしれない
온 세상이 막 어지럽던 그 순간

世界中が目まぐるしく回ったその瞬間
지금 너랑 나랑 모든 게 다 거짓말 같아

今あなたと私のすべてがウソみたい
너랑 일분 이분 시간이 다 거짓말 같아

あなたとの一分二分の時間がウソみたい
꿈일까 아닐까

夢なのかな 夢じゃないのかな

몽롱한 기분인 걸

ぼんやりとした気分なの
네가 좋아한대 날

あなたが私を好きだって
어떡해 진짠가 봐

どうしよう 本当みたい
또각또각 불빛 아래 두 사람

コツコツ明かりの下二人
빙글빙글 내 두 눈은 너를 따라

ぐるぐる私の目はあなたを追って
사뿐사뿐 발을 맞춰보는 나

そろりそろりと歩調を合わせてみる私
진짠가 봐 연인이 될 건가 봐

本当みたい 恋人になるみたい
내 귓가에 시작된 멜로디

私の耳元で始まったメロディ
셀 수 없이 그려왔던

数え切れず描いてきた
네 떨림과 나의 설렘이

あなたのどきどきと私のときめきが
연분홍색 빛 속에 춤을 춰

桜色の光の中で踊る
너랑 이렇게나 가까운 게 거짓말 같아

あなたとこんなにも近くにいるのがウソみたい
너의 심장이 막 울리는 게 거짓말 같아

あなたの心臓が高鳴っているのがウソみたい
꿈일까 아닐까

夢なのかな 夢じゃないのかな
몽롱한 기분인 걸

ぼんやりとした気分なの
네가 사랑한대 날

あなたが私を好きだって
어떡해 진짠가 봐

どうしよう 本当みたい
또각또각 불빛 아래 두 사람

コツコツ明かりの下二人
빙글빙글 내 두 눈은 너를 따라

ぐるぐる私の目はあなたを追って
사뿐사뿐 발을 맞춰 보는 나

そろりそろりと歩調を合わせてみる私
진짠가 봐 연인이 된 건가 봐

本当みたい 恋人になったみたい

 

・楽曲解釈

 

とりあえず歌詞を雰囲気で和訳してみました。割とありがちな詞だとは思うんですけど、今までのラブリズにどっぷり浸かってきた方々からすると、この詞がタイトル曲になるっていうことをどれほど待ち望んできたか。少々急すぎる気もしますがここは素直に祝福したいと思います。おめでとうラブリズ。

 

嫌って訳じゃないの

私はね

正直ちょっと実感が無くて

 

って自分で望んでいたことのはずなのに、いざその瞬間を迎えると頭も心もついていかない少女達かわいすぎませんか!!!俺もまったく実感ありません!!

 

だってこれまで、夢と現実、自己と他者の狭間で揺れ動いて自分自身をすり減らして来た少女達がこんなにも生き生きとしてるんですよ・・・そりゃ嬉しくもなりますよ。自己にこもっても他者に委ねても鬱屈とした感情からは解放されない、ダブルバインドの呪縛に囚われていた彼女達が何か新たな可能性に気づいた瞬間なんですかね。

 

他の印象としては「Hug Me」や「퐁당」、「1cm」のようなアイドルポップとしてのラブリズも全面に押し出され始めたのかなって。現実世界/作品世界という構図とも関わってきますがこの境目が取っ払われてきたのかもしれません。

 

 ・MV解釈

 

突き抜ける青が少女達のもやもやとした気持ちが晴れていく様子を表しているようなMV。まだ数回しか見れてませんが気になったとこだけコメントしてみます。

 

・気づきのシーン

 

f:id:ringokun-m:20170502211338p:plain

f:id:ringokun-m:20170502211347p:plain

 

ケイちゃんが自分自身に背中を押してもらうシーンと、ミジュが背中にある鍵に気づいたシーンですね。泣きました、もちろん泣きましたとも。

 

自分が次に進めないのは自分自身で歯止めをかけてたからだ、っていう気づきですよね。みんなあまりにも幸せそうで意味ありげなこと何も言えない!

 

・内⇔外という視点からの転回

 

f:id:ringokun-m:20170502211358p:plain

f:id:ringokun-m:20170502211406p:plain

 

ここすごく重要で、今後のラブリズの展開が示唆されてるような気がするんです。ミジュは窓を開けた後、鍵を捨ててしまいますよね。それって「内」と「外」という概念さえなくしてしまおうってことなんじゃないかと思うんです。

 

お部屋の中で一人だった少女が外に出て自由を得る、そんなファンタジーな枠組みでは実は捉えきれなくて、常に開き続けることによって、目まぐるしく回る世界の中であらゆるものを受け入れ、吟味し、また発信していくような新しい自己と他者のカタチ。

 

そう思う理由が、スジョンが外の世界を夢見て梯子を上ってたどり着いた先が、何も存在しない空虚な場所だったから。「内」に対するものとしての「外」は結局中身が伴わないんです。

 

だから内も外も、自己も他者もすべて受け入れ許容した上で、両者が共存できるような未来を夢見ていかなければいけない。

 

コツコツ明かりの下二人

ぐるぐる私の目はあなたを追って

そろりそろり歩調を合わせてみる私

 

自分にばかり目を向けるのではなく、かと言ってあなたに求めすぎるのでもなく、ぎこちなくても歩幅を合わせて一緒に進んでいこうって。だからこそあなたの胸の高鳴りだって感じることができるし、今まで思い描いてきたことがウソみたいに叶っていく。そしてそのギャップに戸惑っているところが最高にかわいいんです!!!

 

TLで見かけたんですけど、"Trilogy"には「過去」「現在」「未来」といった意味合いも想定できるみたいで。次回の三部作が先ほど述べたような「未来」を描いてくれるのだとしたら、これほど素敵なことはありませんね。

 

 

ちょっとテンション上がりすぎて思いつくままにばーっと書いてしまったので、考えが変わる可能性は大いにあります!人形との関連性とかもう一つの収録曲の位置づけとかまだまだ組み込んでいないパーツがあるんで、コイツ言ってることブレブレやんと思ってもそっとしておいてあげてください。

 

 

 

自分にとっての「K-POP」を見直してみた

激動の2016年も残すところあと10日である。少し前のことになるがミヤネ屋で今年の漢字が発表される瞬間をコタツに包まれながら見ていた。正直「金」が霞むくらいにはヤバイ出来事が起きていて、今までの足場が崩壊しつつあった年だったと思うのだが、きっとその不安を見てみぬふりをした結果の「金」なのだろう。

 

さて年末ということでやはり流行っているのは2016年の振り返りだ。自分も流行りに乗っかって「今年のK‐POPソングベスト30」の発表でもしようかと思ったのだが、巷で発表されているランキングと大した差はないので割愛することにする。そんなことよりも重要なのはベスト「30」という点だ。特に何も考えず30と書いたがそれだけの数の曲がさらっと浮かんでくるほど今年はK‐POP好きとしての飛躍の年だったということである。

 

 

ところで昨今のK‐POP界は供給過多すぎではないか?と思ってしまうことが少なくない。これは主に雑食と呼ばれる人々にとっては深刻な問題であると考える。一日かけても未視聴の動画を片付けることができないなんてざらにあるし、仮に見終わっても翌日には新たな動画がひょこっとYouTubeのトップ画面に顔を出す。消化不良の無限ループだ。自分も今はてなブログを書きながら別ウィンドウを開きながら赤ほっぺちゃんのライブ映像を消化しながらラブリーズの単コンの妄想をしている。歩くマルチプログラミングである。

 

果たして、このような現状を考慮してなお胸を張って「2016年はK‐POPを楽しんだ年だ」と言えるのだろうか。そこで今回は「K‐POP」というものを改めて見つめ直し、新しい関わり方を模索してみようと思う。そのためにはまず自分のK‐POP遍歴を振り返ってみることが理解の一助となるだろう。

 

K‐POP童貞期

続きを読む

Lovelyz「人形」における少女の心の揺らぎ

少女三部作に続く新たな三部作を、「Destiny(私の地球)」をタイトル曲に据えたミニアルバム「A New Trilogy」で4月にカムバックしたLovelyz。

 

Lovelyz「Destiny」考察-少女が望む運命とは-|まっくのGood Days

 

これは当時、タイトル曲「Destiny(私の地球)」の歌詞とMVを自分なりに噛み砕き、「少女が望む運命とは何か」ということについて考察したものなのですが(ぜひ読んでいただきたいです)、このアルバムでもう一つ重要な役割を果たしていると思われる「人形」という曲があります。

 

「A New Trilogy」のプロローグフィルムにはBGMとして「人形」が使われています。加えてアルバムトラックのラストを飾っているのもこの曲。カムバックが待ちきれず手持ち無沙汰になった僕は、次に少女たちが見せてくれる姿への手がかりがこの曲に隠されているんじゃないかと期待してしまうのです。

 

f:id:ringokun-m:20160922195617j:plain

 

f:id:ringokun-m:20160922195642j:plain

 

【カナルビ/歌詞/和訳】Lovelyz - 인형(人形)|K-pop 歌詞和訳

 

数ある楽曲の中でも異彩を放っているのがこの「人形」という曲。「아나요 잠도 못 드는 나를 知っていますか? 眠りにもつけない私を」そんな問いかけから始まるこの曲の世界は「난 그대의 인형 私はあなたの人形」という歌詞からも分かるように、意志を持たないはずである人形の視点からの語りによって描かれることになります。

 

「知っていますか?」という問いかけが幾度も繰り返され、それはともすれば自己完結的で皮肉を込めたものにも聞こえる、そんな人形の切実な言の葉。

 

알아요 나를 닮은 그 애를
知っています 私に似たその子を

알아요 그 앨 닮은 내 모습
知っています その子に似た私の姿

TV 속에 춤추는 그 앨
TVの中で踊るその子を

난 멈춰 선 채 바라만 보죠
私は立ち止まったままただ見つめています

 

終盤このように続きます。今までが人形の語りだったことを考えると、これも人形の言葉であるとするのが妥当かもしれませんが、「知っています」が「知っていますか?」に対する応答だとしたら?人形の孤独な問いかけに応えてくれる存在はいないのか、人形の想いは救われることはないのか、そう考えるとこの言葉を「持ち主=少女、の人形に対する応答」と捉えたくなってしまうのです。

 

眠りにつき、静かに夢を見ている持ち主を、部屋の隅で何も言わず静かに待っている人形。ではなぜその持ち主が人形の問いかけに応えてくれたのか?そもそも「夢を見ている」ことが暗示していることとは何なのか?

 

おそらくLovelyzの世界観における「夢を見る」という表現が意味するのは「過去への囚われ」や「その場に立ち止まること」だと思います。「Destiny(私の地球)」における夢世界として「For You」を解釈したこととも関係ありますが、この二曲にせよアルバム収録曲にせよ、過去に囚われていたり、なかなか一歩踏み出せない少女を描いていることが多い気がします。

 

きっと少女自身も、足場のない世界へと一歩踏み出さなければいけないことは分かってるんです。分かってはいるものの、過去への後悔、未来への不安から勇気が出ず、夢を見続けたまま立ち止まっている。あえて夢から覚めようとせず自分の思い通りになる世界の中に閉じこもっている。

 

そんな少女の「一歩踏み出した姿」を投影したものが「人形」であり、「TVの中で踊るその子」なのかと。似てるけれど何か違う、そんな自分に近いような遠いような存在。この時だけ少女と人形の視線が一致しているようなイメージです。少女は人形の視点に寄り添って客観的に「私」を見つめている。一歩踏み出した先にいる私(TVの中で踊るその子)を、夢の世界の中に立ち止まったままただ見つめているだけの「私」を。

 

話は逸れますが、心理臨床における遊戯療法や箱庭療法では人形が使用されることがあります。人形をどう扱うかによって患者の内的世界や心理状態を推し量るのです。つまりその時人形は人の心の象徴と考えられています。

 

人形という存在について考えるとき, 特徴的だと考えられるのが, 人形が人によって弄ばれるという点である。他と異なり人形は「私」という個人によって弄ばれ, それによって人形は「私」であって「私」でないという二重性を持った中間的な存在となると考えられる。そして, そうした中間的な存在として, かつて人形が人の思いや苦しみを託すヒトガタとして用いられたように, 現代の心理臨床の場面においても, そうした中間的な存在として「私」の想いや生きる苦しみを代わりに受ける存在として, 人形は存在していると考えられる。(菱田 2012 「人形の象徴性と心理臨床における人形のあり方について」)

 

やはり人形が独立した意志を持っていると考えるよりも、持ち主の想いが憑依した「私」であって「私」でない存在とした方が、少女が生きる「夢と現実の境界」という世界観にも合うのではないでしょうか。

 

話を戻してまとめに。人形(一歩踏み出した私)からの問いかけに応じた少女は、この場所にいつまでも留まっているわけにはいかないことを知っています。しかし待っているだけでは当然何も始まりません。「처음 봤던 그때 그대로 初めて会ったあの時あのままで 난 그댈 향해 웃고 있는데 私はあなたに向かって笑っているのに」人形は少女に可能性を開きつつも「조용히 그대를 기다려 静かにあなたを待ってる」だけだからです。

 

いつか少女が葛藤、不安、苦悩を乗り越え一歩踏み出す時が来ます。安心にすがり動き出そうとしなかった少女は、この世界のラストで人形の問いかけに反応し、目覚めの様相を呈します。もしかすると今は「0」と「1」の狭間で揺れている段階なのかもしれません。

 

少女はドアの前に座り、人形は反対側の窓のそばに置いてある光景が浮かびます。一歩踏み出し人形へと近づいていく過程で少女はどのような景色を見せてくれるのか、どこに向かうのか。夢⇔現実、内⇔外のような二項対立の図式に捉われない答えを提供してくれるんじゃないかと期待せずにはいられません。もしその瞬間に立ち会えればとても嬉しいですし誇らしいです。

 

しかし安定を捨ててまで少女は自分の中の弱さと向き合う必要があるのでしょうか?そんな疑問に今はまだジャンクの人形がこう答えるかもしれません。

 

「だって生きることは戦うことでしょ?」(「ローゼンメイデン」より)

 

 

Crystal Clearの略語がCLCって正直どうかと思う

Music Korean for 5、舞台に立つ5分間で韓国の音楽を世界に発信していくという意味を込めました。略してMK5、メンバーのまっくです

 

 
マジでキレそうです。マジでキレる5秒前です

 

 

 

 

 

皆さん、CLCというグループをご存知でしょうか。僕のツイッターをフォローしてくださっている奇特な方ならお分かりかと思いますが、僕がプロフィールに追加するかしないか、その瀬戸際を彷徨っている韓国のアイドルグループです

 

 

現代人のものの見方を規定するステレオタイプな思考の枠組みを「あにあにあにや」という否定のフレーズを多用することでその限界を示唆し、新たな可能性を提示するという哲学的意義のある作品で注目を集めています

 

 


そんなCLCにMK5なのがその「グループ名」

 

 

以下ウィキペディアより転載

 

 

 

グループ名のCLCは、水晶のようにきれいで透明という意味を盛り込んだ「CrystaL Clear」の略語である。「いつも鮮明な光を放つクリスタルのように、変わらない魅力を持ったチームとして成長していく」という思いが込められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


L、何で急に大文字になっとんねん、という話ですわ(ついにキレる)

 

略するならCCが妥当であるはずなのに本来なら小文字であるべきLが突然出しゃばってくる由々しき事態

 


そんなこと言い出したら何でもアリになっちゃうし、いっそのことCrystal CLear、略してCCL(emon)にした方が発売当初からいつも変わらないおいしさとレモン1000個分のみんなのビタミン感アピールできるやん?という感じだ

 

 


そんなにキレる意味が分からないって方はこういう場面を想像してみてください

  

 

 

「CLCって何の略か分かる?」

 

 

「う~ん、Cool Lovely Cuteかなあ、一つのコンセプトに縛られず様々な姿で魅了するみたいな」

 

 

「いやいや、きっとChoco Lady Cakeだよ!チョコレートケーキのように甘い女性を意味してるんだよ!」

 

 

「Common Law Circle、判例法主義を独自の視点から考察し、日本にとどまらないグローバルな活動を展開するサークルだ」

 

 

 

 

 

 

「ぶぶ~~~!!!!!正解はCrystaL Clearでした~~~~!!!!Lに惑わされすぎです~~!!!Lが頭文字になってるとは限りませ~~~ん!!!」

 

 

 

 

 


一同「Oh, mother fucker.」

 

 

 
これで僕がキレる理由を納得してもらえたかと思います

 

 


だいたいK-POP界には、英単語の頭文字をとってグループ名をつけるのがお決まりみたいなところがあるのがなんか気になります

 


AOA(Ace of Angels)、BTOB(Born to Beat)なんかは意味がまとまっていてとても分かりやすいのでよいのですよ?JYJなんかメンバーの名前の頭文字!明快!すき!あいしてる!

 

 

気になってきたのでものすごい勢いでウィキペディアを調べてみると、他にも目を疑いたくなるようなグループ名がちらほら・・・

 


○U-KISS


U-KISSは「Ubiquitous Korean International Idol Superstar」(あらゆるところに同時に存在する、韓国の国際アイドルスター)の頭文字からきている。またUにはYouの意味もあり、「You kiss」(あなたとキスを)という意味にもなる。

 

嘘つけ。


KISSの意味も無理やりだけどユビキタスなんて最初から出てくるか。「You KISS、、、U KISS、、、U、、、ユ、ユビキタス」って搾り出した感

 

 

SS501

 

SS501というグループ名の由来はデビュー当初、「一つ目のSはSuper、二つ目のSはSingersongwriter、5はメンバー、0は無限大、1はNo.1または一つ」と説明していた。しかし現在は、「一つ目のSはSun、Starなどメンバーの目指す未来を指し、二つ目のSはSinger、501は5人は永遠に一つ」と変わっている。

 

支離滅裂である。こうなったら「サンシャインステーション501号室」でもいけそうだけどもう勝手にやってくれって感じだ。

 

 

○CNBLUE

 

CNBLUEの名前の由来は「Code Name BLUE」。「BLUE」とはメンバー1人1人のイメージの英単語の頭文字(イ・ジョンヒョンはBurning、カン・ミンヒョクはLovely、イ・ジョンシンはUntouchable、ジョン・ヨンファはEmotional)をとったものとされ、「4人で一つの色を作る」という意味も込められている。

 

ジョンシンの人智を越えし存在感、、、もうなんならユビキタスでよかったんじゃないの。あらゆるところに存在する触れることのできないジョンシン。1人だけ神の域に達している

 

 


略語の他にも最近は松の木だったり九の段だったり奇をてらったグループ名が増えてきていますよね、、、

 

そんな錯綜した時代だからこそ人々は安心感を求めて善かれ悪しかれ単純さにすがりたくなるものです

 

 

 

 

LOVELYZ、、、、由来もへったくれもない素晴らしい響きだ、、、、

 

お久しぶりです初めまして

お久しぶりです。初めまして。お久めまして。まっくです。

 

 

アメブロの方で「まっくのGood Days」という目的の分からないブレブレのブログを3年以上展開した挙句、なぜかここはてなブログにフィールドを移しまたしても怪しいブログを開設してしまいました。

 

 

なぜわざわざここに新しくブログを開設したかというと、アメブロへの漫然とした不信感に加えはてなブログへの漫然とした憧憬があったからなのですが、

 

3年以上積み重ねたキャリアを捨て新天地で再出発するのは、さながら転校生のような新鮮な気持ちであり、また手探りの不安もあります。

 

 

 

しかし、

 

 

 

 

 

すみません、ド派手に逆接してみましたが特に何もありませんちょっと初めてのはてなブログで浮き足立っただけです。

 

 

アメブロの方見返してみましたが最後の更新は5月10日で止まっていますね。。

 

そこから今までの4ヶ月は、波乱万丈疾風怒濤森羅万象天上天下唯我独尊愉快痛快ドタバタラブコメディな日々だったので書きたいことは山ほどあるのですが、僕も今をときめく大学生。時間がないと言えばないしあると言えば山ほどある生活を送ってきたのでなかなか全てを網羅することはできません。

 

 

ただ数名僕のブログを楽しみにしてくれている奇特な方がいるので、そのような人がいる限りは大脳皮質に鞭打って記憶を掘り返していきたいと思います。

 

 

 

一方アメブロのブレブレブログの方ですが、やはり思い入れのある記事も多いためどうしようか迷っています。記事を一括で非公開にできないとかアメブロ無能すぎワロレートって感じなので一旦放置しておきますね。

 

 

 

ここで、

 

自己紹介します。

 

・名前

  M(まっく)

・所属

  Lovelyz解析班/パイナポージャパン

・専攻

  哲学

・口癖

  ベビソルと結婚したい

・このブログの目的

  ヘッダーに書いてある通りだと思いました?そんなことありません。事実を適宜歪曲させつつ日々の出来事、感じたことについて綴っていく、いわゆるただの日記です。

 

 

以上新しく生まれ変わったMのブログをよろしくお願いします。